337. バスを待つ / ラストケ村 |

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2018年 09月 03日
![]() プリトゥヴィッエ湖沼群にバスは現れない。バス停に人が増えるばかり。一緒に待っていたTさん(日本から3世代で旅行中)がしびれをきらし頼んだワゴン・タクシーに同乗する。 30分ほどしてザグレブへ向かうTさんの車から降りた。『ラストケ村』はザグレブ発プリトゥヴィッエ一日観光ツアー(申込むも人数不足で成立せず)に含まれてその存在を知った。 スルンチツァ川とコラナ川の合流点にあり、『ミニ・プリトゥヴィッエ』、『滝の中の村』などと呼ばれ60人ほどが住む村らしい。 案内板【写真↑】を見て谷へ降りた。庭先にプリトゥヴィッエ的な巾の広い低い滝があり、川の中や滝の落ち口に石積の家が立ち上がり、イイ感じに古びた家々をつなぐ桟橋が水面すれすれに伸びる。 (手持ちのガイドブックになかったように)観光地として日が浅いのだろう。村を囲む幹線道路が上の方近くによく見える。家々をつなぐ水辺の散策路はなく(たった十数軒、近距離に並ぶだけなのに)美しい景観はぶつ切れ、その一角だけ有料(30クーナ≒600円。ここが特にいいわけでもなく)バラバラな対応にいささか戸惑う。 一巡して水辺に張り出したご機嫌なテラス席でカプチーノを飲みながら思う。プリトゥヴィッエに暮らす稀有な存在がもったいない。村を代表するビューポイントの整備。道路を緑で隠す。川辺に遊歩道を作る。。。素晴らしい観光資源に囲まれ伸びしろ∞ 「ここザグレブ行きバス停だよね?」村から幹線道路へ上がって尋ねた。背の高い白人が無言で携帯を見せる。16:47のバスを予約しているようだ。アフリカ系の彼女は縁石にしゃがむ。 予約した会社のバスが現れる?彼は思っていただろうし、予約の無い僕はやっと来たバスは満員かも?と思っていた。 「ちぇっ、アムステルダム行きか」「3日かかるな」日陰の無いのバス停で汗をにじませ、バスが見えるたび不安を抱えて二人は道路に出た。 数回空振りして5時も越え、一台のバスが止まった。彼の予約とは違うバス会社みたいだがOKが出て半分は空席だった。 「やったね」彼と目を合わせガッツポーズ。まるで描いた空間と降ってわいた共感がラストケ村にあった。 名称 (様式等) : ラストケ村(街並) 場所 : クロアチア、スルニ(プリトゥヴィッエ湖沼群の北30キロ) 設計 (竣工年) : ?(20世紀?) 訪問日 (評価) : 2018年7月28日 (60点、将来性85点)
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by katouhir
| 2018-09-03 22:20
| クロアチア
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2018年 08月 29日
![]() 「夏休みどこへいくの?」15年ほど前(2005年頃?)ハンガリーに家族帯同で赴任してきたK村君に訊いた。 「(ブダペストから)車でクロアチアへ行きます」「へーっ、なにがあるの?」「きれいな滝があるんですよ」何も知らなかった僕は年に一度の夏休みを近場でもったいないと思った。のちにプリトゥヴィッエ湖群国立公園は世界的に知られる。その名所はザグレブから2時間ちょっと。バンコクからはるばる訪れた3泊5日のメインとして期待通りだった。 プリトゥヴィッエ上湖群はコバルトブルーの池がレベルをわずかに変えてつながる。小さな段差で連続する滝、その水面ぎりぎりの木道を行く。開けた水辺の景観は中国の『九塞溝』に似る。 たおやかな流れながら谷は深く、急坂を登ってドローン的に一望すると『イグアスの滝』を思い出す。入場・乗船時の待ち(各30分ほど)の割に人は分散し(下湖群の)池辺の樹林コースも自然があふれ気持ちよかった。 自然の散策を終えると園内バスを一駅前(ST2)で下車し、日程があえば泊まりたかった『ホテル・プリトヴィツェ』へ向かう。ヘルマン・ボレー らドイツ人が多かったザグレブの建物と違い、設計はクロアチアの重鎮マリヤン・ハバリー(Marijan Haberle、1908-1979年) (クロアチア語を翻訳ソフトで読解くと)マリヤン・ハバリーは役所畑を歩む一方、コンペや実施設計を行い、クロアチア建築家協会会長を務めた後、ホテル・プリトヴィツェを設計した。 プリトゥヴィッエにはホテルが3軒だけあり、ST2近くに木々をはさんでゆったりと並ぶ。ホテル・プリトヴィツェは抜きんでいるわけでもなく、正面玄関から見ると2階建てのぼんやり古びたホテル。(傾斜を利用した3階建てで)ロビーを通過しレストランへ下るとすっと赤い踏板が浮いた階段や平石積の壁にアートの香りが漂う。【写真↑】 注文を済ませバルコニーへ出て見る。アースカラーの建物は岩からにょっきりさし出された基礎梁にのっかってオーバーハングし、2,3階にランダム風にバルコニーがつく。その場所にあった岩盤を残し環境に迎合したデザインにジェフリー・バワと通じるものを感じた。 逆円錐柱が並んだピロティへ優雅に伸びる階段を探す。近代建築的名作でホテルのウリなのだろうと写真を見て楽しみにしていた。なんなく見つけたがこの一角は廃墟になって立入禁止。もったいない。ロープをまたいで上がってみようか、迷ってやめた。【写真↑】 懐かしさを感じる気持ち良いレストランへ戻ると料理があらわれた。この流域ではマスがよくとれるという。トラウトのアーモンドソース添えもとてもよかった。 名称 (様式等) : ホテル・プリトヴィツェ(近代建築) 場所 : クロアチア、プリトヴィツェ 設計 (竣工年) : マリヤン・ハバリー(1958年) 訪問日 (評価) : 2018年7月28日 (60点)
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by katouhir
| 2018-08-29 23:56
| クロアチア
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2018年 08月 25日
![]() ザグレブの美術館・博物館(あるいは観光地)は中央駅の北側、旧市街に集まる。『現代美術館』をのぞいては。コンペ85作品から選ばれた美術館は大きく(14,500㎡)新しく(2009年12月オープン)予算の倍以上(約8400万USD)かかったという。 観光ムード漂う『エスプラネード・ザグレブ・ホテル』から地下通路を抜けて南口へ出ると地元色に変わり、バスからの風景は空き地が多い。放置された土地に(北口と同じように)駅と垂直に細長く整備された公園(広場)が続くのが目をひく。2050年ごろにはこの広場に沿って未来的な建物が軒を連ねているのだろう。 現代美術館は近未来的な形で大通りに面す。テトリスが宙に浮いたようなファサード、半透明に見えるのはプロフィリット・ガラス? 見た目は期待通り、でも広大な敷地に人の気配が無い。ピロティにあるミュージアム喫茶は店を閉め始めている。5時閉館ってことないよね?焦って入口を探した。 「あと1時間だけど、いい?」とお兄さん。よかったぁ~40クーナ(≒800円)払う。「金曜の夕方にしては空いてない?」「あぁ、みんな海に行ってるからね」 外壁や軒天と同じように内装(エントランスロビー周り)もプロフィリット・ガラスが用いられる。ガラス天井といってもフロート・ガラスほどシャープで未来的な感じはしない。 ハンガリーの工場を設計した際に窓の代用品(VE提案)としてプロフィリット・ガラスを使った。ガラスなのにゆるいカタチ(平滑度、コーナー)、コの字型断面のガラスを2つ組み合わすことで空気層ができ断熱効果も期待できる。(安くない日本ではシングルで使われている例も) 隣国クロアチアでも一般的らしく、駅前の郵便局で見かけた。【写真↓】 とはいえこれほど大面積は珍しく、天井への使用は初めて見た。非日常が期待される美術館としてユニークでイイね 内部空間は吹抜が多くゆとり十分、階というくくりを感じない。そして階段が多い。しかも階段ごとにデザインが違っていささか落着かない。 順路は不明、自由な空間を自由に移動させたかったのだろう。展示空間にトイレや搬出入用リフトがあって自由を謳歌している。メンテナンスのせいか早くも古びて見えるところもあり、施工精度と詳細デザインにはもう少し緊張感が欲しいところ。 中を一巡すると(慌てて入って見ていない)外を回る。敷地の裏側(東)はアパート。東面はプロフィリット・ガラスの代わりに巨大な横ルーバーが開口部一面を覆う横強調。トラッドな風合いは別の建物みたい。【写真↓】 スケール感が狂いそうな(敷地にはあった)大らかなデザイン。基壇部分は落書き。現代美術館は展示物と同じように常識や論理を超えた爛漫な香りを漂わせた。 名称 (様式等) : ザグレブ現代美術館 Muzej Suvremene Umjetnosti Zagreb(現代建築) 場所 : クロアチア、ザグレブ 設計 (竣工年) : イゴール・フランチ(2009年) 訪問日 (評価) : 2018年7月27日 (60点)
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by katouhir
| 2018-08-25 18:56
| クロアチア
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2018年 08月 21日
![]() ザグレブは中世風の街並が美しい。『ザグレブ中央駅』を軸に細長い『トミスラヴ王広場』があり、両側をパステル色の建物が軒を連ねる。【写真↑】 芝生の美しい広場はシンメトリーな建物で突き当たっても、その後ろに同じ幅で『ストロスマエル広場』、『ズリンスキ広場』がある。その左右にクラシカルな景観が続き、旧市街中心地まで1キロほど楽しく歩ける。 (古びて見えるが)駅を中心にできているから割合新しい街並みだろう。駅前広場に立つと左(西)側に白い『エスプラネード・ザグレブ・ホテル』が存在感をみせる。【写真↑】 古風に見えるこのホテルも近代建築全盛期(大正時代)に作られた。1917年(アドルフ・ロースも応募した)国際コンペを経てドイツ人オットー・レニグの案が採用される。当時オリエント・エクスプレスの乗客が利用し、西側は広大な平野(=エスプラナード)だったことがホテル名の由来という。 エントランスは派手な斑の大理石で彩られ、エレベータとセットになった階段吹抜が上階に伸びる。外観から続く格式を漂わすかっちりしたロビー周り、そこから裏へ回った廊下は唐突に円弧を描く。 弧の中は円形のレセプション・ルーム(宴会場)だった。頼んで中を見せてもらうとイスが並べられ、見上げればドーム天井にアーチ窓。写真を撮っていると、照明をつけ青く変えてくれたりした。「よく使われているの?」「ほぼ毎日です」【写真↓】 泊ったのは6階。最上階のスイーツを期待して入ると屋根裏部屋だった。屋根勾配が壁側に出て窓は小さい。西日射す窓から覗くと平原ではなく普通の町が伸びる。 壁が斜めでも部屋は広く、清潔で文句ない。テレビチャンネルをチェックしているとぱらぱら天気雨。金属屋根を叩く雨音が響くが嫌な音ではない。 どちらに泊まろうか迷った『パレス・ホテル』はストロスマエル広場に面す。貴族の館を改修したというからエスプラネード・ザグレブ・ホテルより古いかもしれない。1階の喫茶店は明るくアールヌーヴォー風に改修され、ケーキも美味しかった。(クロアチアで食べたものはどれも美味しかった)【写真↓】 古い街並はイイし、現役の建物で泊ったり食事できるのもすごくイイ 名称 (様式等) : エスプラネード・ザグレブ・ホテル(ネオ・ルネサンス様式) 場所 : クロアチア、ザグレブ 設計 (竣工年) : オットー・レニグ、ディオニス・スンコ(1925年) 訪問日 (評価) : 2018年7月27日 (60点)(2泊朝食無し≒32,500円)
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by katouhir
| 2018-08-21 21:32
| クロアチア
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2018年 08月 17日
![]() ザグレブの観光ガイドブックに『ミロゴイ墓地』というのがあって「欧州で一番美しい墓地」ともうたわれる(ほんとかな) チェコ語、ポーランド語をもとにクロアチア語のアルファベット表記を作った『リュデヴィット・ガイ』。彼の別荘を買取った市が19世紀末に墓地とし、『ザグレブ大聖堂』や『聖マルコ教会』のヘルマン・ボレー(ドイツ・ケルン出身)が設計した。写真の雰囲気にひかれ、ザグレブ大聖堂前からバスに乗ると 15分ほど走り、バスを降りたのは地元らしき二人と僕。蔦のからまったクラシカルな建物は絵に描いたよう。ただ人影はまばらで、ブエノスアイレスの名所『レコレータ墓地』と違って観光地には見えない。 レコレータ墓地のような凝った墓は少ない。木々の間にほどよい密度で床が並んで、ここで眠るのも悪くなさそう。それより道と墓を隔てて延々続く回廊がすごい。 レンガの回廊はつなぎ部が一段高くなって緑青色のドーム屋根がかかる。それが10数個並んで『万里の長城』のように果てしない。タイル張りの床に点検口が1スパン1、2個並ぶ。(それに対応して)壁には石張りの墓標や窓風のニッチが設けられ、一つ一つがお墓らしい(お墓の上を歩かせていいのか?) 回廊と墓地のほかにも黒い石のモニュメントや(回廊横にある白い教会と別に)大きな教会がある。ちょうどお葬式の後らしく、黒い服の方が集まるのを遠目に眺めた。続いて棺らしきものが。日ざしは厳しく黒服の人たち暑いだろうな。【写真↓】 そうか、墓地が美しいわりにしっくりこなかったのはこのせいかもしれない。寒いくらいが静謐な世界には似つかわしい。さてバスに乗って現世に帰らないと。バス停横の花屋(ここでも墓地と花屋はセット)で券を買おうとしたら「ここじゃ売ってない。バスで買えるよ」なるほど 「えっ?」運転手に訊き返した「15クーナ(≒300円)ってマジ?」売店では4クーナでチケットを買えるのに。このデジタルなダメージが来世へ導く淡麗な風景とセットで記憶に刻まれた。 名称 (様式等) : ミロゴイ墓地(ネオ・ルネサンス様式) 場所 : クロアチア、ザグレブ 設計 (竣工年) : ヘルマン・ボレ―(1879~1929年) 訪問日 (評価) : 2018年7月27日 (60点)
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by katouhir
| 2018-08-17 21:36
| クロアチア
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2018年 08月 14日
![]() この町で『ザグレブ大聖堂』と並んで『聖マルコ教会』が観光の中心になる。どちらもよく目立つがタイプは違う。 旧市街からちょっと上がってザグレブ大聖堂、その前(西側)には本格的な丘がある。旧市街『イリツァ通り』の1ブロック裏は急斜面になり、大通りからケーブルカーも見える。【写真↓】 せっかくだから世界一短いと言われるケーブルカーに乗る。丘の上は中世風の街並にアスファルトの坂道がすっと伸び、突き当りに聖マルコ教会の絵のような屋根が見える。 屋根画といえばウィーンの『シュテファン寺院』の織物みたいなパターンを思い出す。ここでは左側に『クロアチア・スラヴォニア・ダルマチア王国』の紋章、右側にザグレブの紋章。白・赤・水色などの屋根瓦でレゴみたいに描かれる。おとぎの国に来たみたいだが○○はどうなっている? 石畳の小広場のある南側が観光客用に開放され、横っ腹から入ると3スパン×3スパンの外から見た通りの小ささ。 一見重厚なロマネスク様式で、リブ・ヴォールトの天井はゴシック調。天井は金色で、壁画が描かれていささか装飾的。祭壇から見返すと2階でパイプオルガンが演奏されていた。(生だったんだ) 外へ出て聖堂を一周する。観光用に紹介されている外観は屋根のきれいな南側ばかり。引き(前面スペース)はないがゴシックっぽい西正面が普通の教会のようにあり、北側にはロマネスク調のがっしりした塔(鐘楼?)がくっつく。【写真↓】 そして気になっていた屋根は? 北側は織物風のパターンだけ。紋章は無かった。なるほど 聖マルコ聖堂の南西角にずっとカメラとテレビクルーが二人、観光番組かと気に留めなかったが。聖堂の西隣は首相官邸、東隣は国会議事堂で政治の中心でもある。【写真↑左後ろが議事堂】今思うと首相官邸狙いのマスコミだったに違いない。 この一角はまた古い街並みに溶け込んで小さな美術館もある。『失恋博物館』は名前につられた多くのゲスト(僕もその一人)で混み合っていた。名前の割に(名前通り?)展示は哲学的。建物の見た目はもちろん、名前でも人が集うらしい。【写真↓】 名称 (様式等) : 聖マルコ教会(ロマネスク→ゴシック→ネオ・ゴシック様式) 場所 : クロアチア、ザグレブ 設計 (竣工年) : (14世紀建設)、ヘルマン・ボレー(1880年頃改築、屋根デザイン) 訪問日 (評価) : 2018年7月27日 (60点)
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by katouhir
| 2018-08-14 21:51
| クロアチア
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2018年 08月 10日
![]() 8年ぶりに欧州を訪れた。クロアチアの首都ザグレブは現代建築に浸食されることなく、まとまって中世風の街並がある。 おそらく19~20世紀に作られた擬古典様式で、石積みに見える外壁も削ればブロックやレンガが出てくるはずだが、アジアにはない懐かしさにワクワクした。 中央駅から北へ旧市街に向け緩やかに上ると、旧市街(というかザグレブ市)の中心『イェラチッチ広場』。道路が入り込み路面電車の駅もあって落着かないけれど、青い路面電車が古い街並にマッチしてビジュアル的に悪くない。【写真↑】 近くにまったく雰囲気の異なる広場、『ドラツ青果市場』(1930年頃)もある。統一感のある赤いパラソルの下で野菜や果物、クロアチア・チームの赤白チェックの服など並び、この国の豊かさとサッカー愛を感じた。【写真↓】 『ザグレブ大聖堂』はイェラチッチ広場から一段上がったところにある。17世紀にネオ・ゴシック様式で建設された双塔は高さ105メートル、現代でも十分高く(ザグレブ市内はこれ以上の建物は作れない)建つ場所も高くてよく目立つ。 西正面前はゆったりした広場になって、縦長の建物が堂々聳える。その左側、少し離れて尖がり屋根の丸い建物がとってつけたようにあるのが気になった。 木扉から入ると暗くひんやり。巾3スパン、奥行6スパン(ドアはあるが)袖廊は無くコンパクト。一段高い祭壇の後ろ、アプス(内陣円弧部)にガラスの棺がおかれ、座席も設けられているのが珍しい。身廊の長椅子に座ってゆっくり見回す。天井は夜空を表しているのだろうか?青灰色に金色の縁取り・ドットで粋だ。 そういえばイスタンブールから乗り換えた飛行機で隣になったアメリカ人、奥さんはクロアチア人で日本のことも詳しかった。「クロアチアはカトリックの国です」何を話したかあまり覚えてないけど強調していた。 気になっていた丸い建物に連なる石壁側へ回ると、フェンスに囲まれ(塔の工事用に)ラップされた真新しい石の彫刻やオリジナルらしい黒ずんだ石塊が並ぶ。 そして丸い建物と石壁はオスマン軍の攻撃を防ぐ城壁(16世紀前半)だったという。教会を敵から守るという発想がイメージしにくいが、プラハの『ティーン教会』ではカトリック教会への改宗を阻止すべく聖堂正面を建物で塞いでいたのを思い出した。 名称 (様式等) : ザグレブ大聖堂(ネオ・ゴシック様式) 場所 : クロアチア、ザグレブ 設計 (竣工年) : ?(1094年、1242年破壊、13世紀末再建、17世紀塔建設、1880年火災・地震?→再建)、ヘルマンボレー(現在の西正面双塔) 訪問日 (評価) : 2018年7月27日 (70点)
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by katouhir
| 2018-08-10 21:23
| クロアチア
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