ルクソールの遺跡はナイル川を境に二分される。
東岸は生者の町で『ルクソール』、『カルナック』両神殿がある。西岸(=日没方向)は死者の町で『王家の谷』、『ハトシェプスト女王葬祭殿』などがある。かつて船しか手立てはなかったが1997年ルクソール橋が架かり、東岸クロコダイル島にあるホテルから難なく『王家の谷』へ。赤茶けた谷は朝早くから大勢の観光客でごった返す。
ピラミッド(古王国時代)から1000年近く経って岩窟に変わり、その時代のほとんどの墓が王家の谷に集中する。この特徴の無い場所が高級霊園になったのは諸説ある。谷の奥に聳える三角錐のイル・クルン山が太陽神ラーを象徴しているから、あるいは盗難を防ぐため目立たない谷に集めたとか。
残念ながら後者は失敗し壁画を残し財宝は略奪された。ツタンカーメン王の墓を除いては。彼は早逝したため墓が小さく、別の(ラムセス6世?)墓に隠れていたため見落とされていたと言われる。
王家の谷には60を越える墓があり、この時入れたのは9ヶ所。見学システムは入場券(55ポンド≒1000円)で希望する3つに入れる。壁画の残り具合などで人気ははっきりしている。長い行列ができている『ラムセス6世』の墓を諦め、『ラムセス3世』、『ラムセス9世』、『タウセルト王妃』の墓を選んだ。別料金(70ポンド)がいるツタンカーメン王はすいていたが、「中は(財宝がカイロに運ばれ)何も無い」とラーダさん(ガイド)がいうのでパス。
墓は地下にあり岩丘の麓に点在する四角く穿たれた入口しか見えない。そこに群がる列に並び廊下状の通路を降りて行くと棺の置かれた玄室がある。墓泥棒も持っていけなかった通路や前室、玄室の壁・天井に描かれた壁画と地下空間を賞味した。
墓へ向かう動線軸がL字型に曲がる初期の墓。途中で動線軸が少しずれた中期の墓(ラムセス3世)。動線軸が一直線状に並んだ後期の墓(ラムセス9世)。時代により様式が違うのは『莫高窟』(敦煌)に似ている。ラーダさんは墓の中に入れないので入る前に壁画に書かれている内容、その意味など解説するが、ほとんど記憶できず声のトーンだけが耳に残った。言われたことは忘れても、壁から天井にかけてヒエログリフ(象形文字)とアイラインがくっきりした横顔人体画が鮮やかに描かれ、今なお金色に彩られてゴージャス。イイね
外へ出ると草一つ生えない谷は砂漠の暑さで、その無機質な風景と華麗な美術のギャップも面白い。
名称 (様式等) : 王家の谷 (古代エジプト建築、新王国第18-19王朝)
場所 : エジプト、ルクソール
設計 (竣工年) : ?(BC16-12世紀)
訪問日 (評価) : 2004年12月27日 (81点)