610. 試験問題’87 / 日光東照宮 |
カテゴリ
全体 日本 中国 香港・マカオ 台湾 フィリピン ベトナム カンボジア ラオス タイ マレーシア ブルネイ シンガポール インドネシア ミャンマー ネパール ブータン スリランカ インド ヨルダン イスラエル ウズベキスタン トルコ ギリシア 英国 フランス イタリア スペイン ポルトガル ドイツ オランダ ベルギー ルクセンブルク オーストリア ポーランド チェコ ハンガリー クロアチア スロベニア ルーマニア ブルガリア デンマーク ノルウェー スウェーデン フィンランド エジプト ジンバブエ・ザンビア 南アフリカ オーストラリア アメリカ合衆国 メキシコ キューバ ブラジル アルゼンチン ウルグアイ ペルー ボリビア 以前の記事
2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2021年 10月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2020年 12月 2020年 10月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 フォロー中のブログ
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2023年 12月 12日
・『石鳥居』を潜ると、左手に『五重塔』 ・拝観受付をして、階段を上がって『表門』 ・その先、参道は左へクランク状に曲がり、有名な彫刻『三猿』があるのは馬小屋(『神厩舎』) ・『銅鳥居』を潜って、『鐘楼』と『鼓楼』の先にある『陽明門』(1636年)に視線は釘付け ・陽明門の内側には、入れ子のように陽明門ミニ『唐門』と、似た色合いの『透塀』が『本社』を囲む ・本社向かって右、東回廊の『坂下門』にある、有名なもう一つの彫刻『眠り猫』を見上げ ・本社から離れ、森の長い階段を上がって墓所(『奥宮宝塔』、『拝殿』)を小回り ・坂下門に戻って靴を脱ぎ、東照宮の核心、本社『拝殿』を参り ・最後は向かって左の『本地堂』に並び、『鳴き龍』(解説付き。天井と共鳴・拡声)を体験する 休まず回って2時間ほど。ビジュアルに加え、歩き、聴く多彩なエンタメ性で、イメージは世界へ膨らむ。たとえば陽明門前の狭いエリアに、頭でっかちな鐘楼、鼓楼が並んだ通路を歩くと【↓】ネパールの『バクタプルの広場』を思い出した(改めて写真を見比べると?だったけど) 徳川家康を祀り、日本を代表する霊廟の一つ、日光東照宮。世界の霊廟は?真っ先に『タージ・マハル』が浮かぶ。タージ・マハルができたのは1653年(東照宮大造替17年後)。同時代に作られた2作品は、遠く離れた場所で、違う形でそれぞれの頂点を極めた。 拝観券裏面の略図で強調される4名所(陽明門、三猿、眠猫、本地堂・鳴龍)ほど人気はないが、少しマニアックでキラリ光る建屋が2つ 一つは五重塔。朱と金の艶やかな装いも、陽明門を控えて立ち止まる人は少ない。見上げると、最上階(5層目)の軒裏だけ、垂木の向きが違う。1-4層目は和様(塔部分に対し垂直方向の平衡垂木)。5層目だけ唐様(塔部分中央に向かって角度がついた唐様)【写真↓白線】 強度を高めるためと言われるが、ここだけ意匠を変える?迷っただろう。一方、はるか高い場所だから、「そう思って見ないと気がつかないでしょ」大工さんに言われているようで洒落ている もう一つは『権現造り*』の本社。複合型建築を代表する一神社様式で『八幡造り**』(2棟並んだ平入)からの進化形は、こののち広く展開される。 *権現造り:前殿(日光東照宮・拝殿)と後殿(本殿)の間に、『石の間』(前室)が設けられ、入母屋屋根。『久能山東照宮』(1617年)が初 **八幡造り:前(外殿)と後(内殿)は一体に見え(狭い『相の間』でつながる)、2つの平行な屋根は切妻。『宇佐神社』(725年~)など 問『日光東照宮社殿(栃木県)は、本殿と拝殿との間を石の間でつないだ権現造りの例である』(正しい。平成26年度一級建築士、4択の1)。受験した時、この問題があったか覚えていないけれど、よくある日本建築史の設問らしい。次に行くときに、もう少し見たい。 名称(様式等): 日光東照宮(神社建築様式。本殿:権現造り、五重塔の庇:和様+唐様、陽明門:唐様など) 場所 : 日本、栃木県日光市 設計(竣工年): ?(創建1617年、寛永の大造替1636年、五重塔1818年再建、本地堂1968年再建ほか) 訪問日 : 2023年8月26日ほか (70点、エンタメ性95点)(東照宮拝観料1300円)
#
by katouhir
| 2023-12-12 12:12
| 日本
2023年 11月 11日
現地を訪れると、細長い敷地の奥に見覚えのある林とコンクリート色の建物。石段をあがり、中に入って納得した。なじみの建物は、金色堂を風雨からまもるため、建物をすっぽり覆う『覆堂』あるいは『鞘堂』と呼ばれる外皮だった。 それから35年ほど。本設の覆堂を見ることは少ない。(相手は建物ではないが)『兵馬俑博物館』(西安)は、墳墓の副葬品だった実物大の兵士・馬・戦車の像をスタジアムのような大屋根が覆う。発掘されたモノとカバーする屋根のセットが当たり前に見える。 『野口英世記念館』(福島)は、生家にガソリンスタンド風の大屋根がかかり、のちに隣接して直方体の大きな建物ができた(増築後は未訪問)。藁ぶきの生家は棚に納まった民芸品みたいで、風景と相まって(オリジナルの場所にも関わらず)、移築したように見える 兵馬俑と野口。本体の古いモノとイメージは異なる外皮が、金色堂では寄せたデザインになる 1124年、藤原清衡によって建立された金色堂は、『金閣寺』(オリジナル1397年)と違って外部仕様ではなかったらしい。建立後50年ほどで簡素な覆屋根がかけられ、のちに本格的な『旧覆堂』(1288年。重文)が建造された。増改築を経て室町時代中期(16世紀)に現在の形になったものとみなされる【写真↓】。700年以上金色堂を守り続け、新覆堂の建設に伴い今の場所に移築された。中では「よみがえる金色堂」のドキュメンタリー映像が見られる(30分ほど。たいへん面白かった) それに代わる昭和の覆堂は、鉄筋コンクリート造。雨風だけでなく、地震や火災に備える。 当初案は、金色堂と屋根の中心を合わせ、軒高をおさえた。見学者入口まわりの雁行した造形に異論が出て、(金色堂の手前に屋根中心を配した)大らかな方形屋根に変わり、そのバランスから屋根勾配も急になった(6寸5分≒33度→7寸≒35度) 遠目には白木の色合いにも似たコンクリート打放の柱に真っ白な壁。化粧柱と舟肘木。垂木がリズミカルに繰返し、繊細な伝統建築の趣きをシャープに読解く 前(向かって左)を通り過ぎ、入口は反対側(坂の上側)。内部(撮影不可)はガラスに囲まれ金色堂がある。白壁・白天井、棟(屋根の裏)は濃いグレーで縁取られる。そんなバックを見学者中唯一チェックしながら、照明に浮かび上がる『堂』というより精緻を極めた古美術品を鑑賞した 平泉という場所が幸いしたのだろう。表参道に沿って、『本堂』(1909年)、『経蔵』(鎌倉時代、重文)、『能舞台』(1853年、重文)ほか900年かけて築き上げた建物が高密度で並ぶ。新しい建物は木造寺社様式を模すことで調和を保つ。いっそ現代建築の方が?と思う微妙な擬木造もある中で、新覆堂は、(原案より高く、屋根勾配がきつくなったと言っても)出しゃばり過ぎないシンプルさで、地味にイイ 『讃衡蔵』(さんこうぞう。竣工2000年。↓)に展示される模型は、屋根も金で覆われているが、残されている木製の丸瓦にその跡はなかったという。もし次の覆堂を作るなら、上からも見られる見学通路とか?あるいはバーチャルに金色堂内部を歩き触れる?できればリアルに、新技術・素材による透明の壁・屋根に覆われ、創建時のライブ感を味わいたい。その時、擬和風様式の佳作『現・新覆堂』は、旧覆堂の横に仲良く並んでいるのかもしれない 名称(様式等) : 中尊寺金色堂 新覆堂 (擬木造寺社様式) 場所 : 日本、岩手県平泉町 設計(竣工年) : 大岡實 (1964年) 訪問日 : 2023年10月9日 (70点、地味凄さ95点)。他1989年春(入場料800円)
#
by katouhir
| 2023-11-11 11:11
| 日本
2023年 10月 15日
4月20日(木) 羽田(10:55) - デリー空港(16:35-19:35) - (21:05→2時間遅れ)アーメダバード空港 - ホテル 4月21日(金) ホテル(08:00) - ①ガンジー・アシュラム - ②アダラジの階段井戸 - ③スィディ・サイヤド・モスク - ④アーメダバード繊維業者会員会館(11:00) - ⑤ダーダ・ハリの階段井戸 - ⑥ガンジー労働研究所 - ⑦サンガド(13:30) - ⑧ザ・ハウス・オブ・MG(昼食) - ⑨タゴール・メモリアル・ホールとケンドラ美術館(外観) - ⑩グファ - ショッピングモール(時間調整) - アーメダバード空港(22:35) - ムンバイ空港(24:05) 4月22日(土) ムンバイ空港(5:35) - アウランガーバード空港(6:35) - ⑪アジャンター石窟群(9:00-11:00) - ⑫エローラ石窟群(13:30-15:00) - ガイドの家(16:00-16:30) - アウランガーバート空港(18:45) - デリー空港(20:35) - ⑬ハヴェリ・ダランプラ泊 4月23日(日) ⑭デリー城 - ⑮ジャーマー・マスジド - デリー空港(19:05) - 羽田(翌6:05) 期待に違わぬ素晴らしさ、中でもインパクトが強かったのは順に ・素材感がすごいエローラ石窟群 ・巨匠香立つアーメダバード繊維業者会員会館 ・サンガド、グファなどドーシの作品 上記の他にもユニークで、記憶に残るシュールな空間があった アーメダバードでは、(日系代理店と相談し)厳しい日程を覚悟して計画した。10ヶ所以上の目的地を効率的に回ると、夜のフライトまで時間があまって、2時間ほどショッピングモールでブラブラする 中央に吹抜、上階にフードコートがある構成は、東南アジアのモールと同じでも、白い壁・天井、上から下まで同平面ですっきり通った吹抜に最低限のエスカレータ。飾り気の少ない倉庫のようなシンプルさで、『ショッピングモールの素形』をみるようだった【写真↑】 『アジャンター石窟群』では、近くのレストランに入場までの朝食(時間調整)と昼食で利用した。 まだ新しい、というか2階が未完成(ダイニング中央に手摺も無い階段だけある)で営業しているのがすごい。床から天井までの大きな窓が3方向に巡り、巾2メートルほどの障子が開け放たれて屋外で食事をしているよう。(エアコンでなく)天井扇が回る内外曖昧なスペースは、気候を熟知したベスト・アンサーなのだろう【写真↑】 アウランガーバード市内ではガイドRajesh Raut氏の自宅に招待された。狭小敷地で上に伸びた、日本でも見かけるような外観【写真↑】 そんな限られた敷地でも手洗い、トイレ、シャワーなど水場は1階外部、中庭状になのは、インド人の生活慣習によるものだろう。玄関を入ってすぐ、あるのはベッド?ソファならぬベッドを背に、磨きタイルの床に座って、手料理を頂いた。ある意味もっともインドらしいシーンだったかもしれない。 デリーでは、デリー城の前やチャンドニー・チョウク大通りの路上マーケットは人とモノがあふれ、それが延々続く規模を体感した。ショッピングモールの原形。というか屋根や壁で建物が形作られる、その前のありさまを見るよう。いつの日かモールに吸収されていくのだろうか ハヴェリ(旧邸宅)を改修したホテルはイスラム街にあった。『Heritage Rd.』とある周囲の路地は、映画などにみるあやしさ。B級の味わいがイイね。2回利用したインド中華のテイクアウト店は、3階建て住宅の1階。ありがちなドメスティックなスタイルは『路上からモールへ』進化する途上のよう。そんな店の前をリキシャ(3輪自転車タクシー)が横切る【写真↑】
#
by katouhir
| 2023-10-15 23:45
| インド
2023年 09月 18日
前回はリキシャを下に待たせ、北門から覗いただけだった。今回も繁華街『チャンドニー・チョウク大通り』がある北側から、競技場入口を思わす39段の階段を上がって入る。【写真↑】『デリー城』に似た意匠のゲートは、南側、東側の階段の上にもある。(礼拝堂はメッカ、西向き) 靴を脱いで入ると、25,000人収容・礼拝できる中庭。日曜というより、ラマダン明けの祝日だからだろう、人が多く写真を撮るのが難しい。【↑】 赤い砂岩の中庭から見る礼拝堂は、赤・白パターンのポップなファサード。3つの玉ねぎドームに2つのミナレット(塔)を配しシンメトリー。 中庭から数段上がると、11のムガルアーチ(尖がり丸丸)が繰返す前面柱廊。奥行8メートルほど、床大理石には、座席のような赤い固定じゅうたんが並び、白い壁龕に向かって祈る姿がある。その背後、3つのドームを戴く礼拝室(巾60-80メートル、奥行27メートル)は閉ざされていた。【↓】 ムガル帝国第5代皇帝であり、インド史上最大の建設王シャー・ジャハーンによって、デリー城から少し遅れて作られた。設計は、デリー城や『タージ・マハル』と同じ宮廷お抱えの建築家、ウスタド・アフマド(ラホーリー)と伝わる。 高さ約40メートル。赤白縦ストライプのミナレット。左の塔は登ることもできる。チケットを買って、足裏に厳しい、熱くなった回廊上を駆け抜け、息のつまりそうならせん階段を登る。 びっしり人の天辺からは、中庭・モスク全景が見える。先ほどのデリー城も近く、泊まった『ハヴェリ・ダランプラ』も遠くないはずだが。。。ただ無数の中層建物が続いた 名称(様式等):ジャーマー・マスジド Jama Masjid(ムガル様式) 場所 :インド、デリー 設計(竣工年):ウスタド・アフマド(ラホーリー)?(1656年) 訪問日 :2023年4月23日、2011年8月30日 (70点)(入場料Rs300≒550円、塔Rs100) #
by katouhir
| 2023-09-18 19:18
| インド
2023年 09月 10日
19世紀の遺産は、今ではホテルやレストランなど古きインドを体感できる観光拠点となる。アーメダバードの『ザ・ハウス・オブ・MG』では、複雑に入り組んだクラシカルな建物のルーフトップでインド料理を頂き、デリーでは『ハヴェリ・ダランプラ』に泊まった デリー空港から、予約していた車で向かう。夜9時過ぎというのに、ずいぶん賑やかなのは、(あとから知ったが)イスラム教の断食明けの祭りだったから。 「明日も(空港へのピックアップは)ここに来るから」ドライバーはごちゃっとした道路で停まった。高級ホテルのはずなのに、車寄せもないのか?ドライバーが呼んだホテルのポーターが現れ、路地へ誘う。幸い荷物は機内に持込める少なさ。事情がよくわからないまま、なんとか人がすれ違いできる路は突当り、少し広くなった、それでも車は通れず、建物が隙間無く、かぶさるように並んだ路地を右へ【↑前面道路】 前庭も無く、隣と混然とした建物。尖がりアーチを潜ると、玄関は無くいきなり通路兼レセプション。ハードな旅程で疲れていた折、失敗したかなと思ったが 『ムガル帝国後期および植民地時代に建てられたファサードは、黄褐色と赤の砂岩で見事に彫刻されています。ハヴェリの前面は花柄、彫刻、掘り込まれた(あるいは、ひだ飾りが付いた?←fluted)意匠で装飾されています。ハヴェリ中央に中庭があり、その周りが部屋になります。いずれの面にも1階につながる小さな石の階段があります。デザインの特徴は、複雑なデザインが施された鉄、真鍮、銅の金具が付いた古い木製ドアとアーチ型のニッチです。 壁、部屋、アーチヴォールトのジャック屋根(?jack roofs)、小屋根付きのベランダは植民地時代の特徴を表していると言われます。美しいジャロカ (jharokhas 窓)、チャトリス (chhattris ドーム型の東屋)、小さな装飾的なバルコニー、掘り込まれた柱、デザインされたチャブトラ (chabutras 塔のような鳥小屋)、伝統的なバイタク (baithaks 応接室)、大理石の床は、ムガル帝国の建築様式の特徴です。ハヴェリは道路より高い基壇に設置されています。さまざまなテーマを細かく掘り込まれたデザインが、これらのハヴェリの内部を飾っています』(ホテルの冊子から勝手に訳) 1フロアには6室程度。中庭吹抜につながるベンチが置かれた前室、巨大な南京錠が守る両開き木扉。103号室は合理的で快適なビジネスホテルに慣れた目に、装飾的で重厚で落着かないほど。荷物を置いて、1階へ降りると、レストランは片付けに入っていた。 腹も減ったし、路地を散策して、車を降りた辺りにあった、テイクアウトのインド中華の店で買って、店頭のプラスティック・イスに腰かけ、下町の混沌の中で食べた 翌朝、ホテルを上から下まで歩く。 ピンクの壁に、レースのようなアイアンワークの手摺。アーチの向こうには小さな吹抜や階段が見え隠れして、時空を超え、迷宮にまよい込んだよう 屋上に上がると、高密度な下町が眼下に。【↑】とりとめもない営みから抜きんでるのは、『デリー城』の尖塔と『ジャーマー・マスジド』の玉ねぎドーム ムガル様式得意のツイン柱アーチのダイニングは、大理石がパターン張りされた中庭に続く。【↓】朝食、あるいはデリー城など見たあと、前夜のインド中華でさっと食べたあとのティータイムに、猥雑なダウンタウンから隔絶された中庭でまったりした。 名称(様式等): ハヴェリ・ダランプラ Haveli Dharampura (ムガル建築) 場所 : インド、デリー 設計(竣工年): ?(オリジナル1869年) 訪問日 : 2023年4月22日 (65点、迷宮度90点) (1泊朝食181.6ドル≒24,700円)
#
by katouhir
| 2023-09-10 09:10
| インド
|
ファン申請 |
||